普通に考えても、虫や微生物を死滅させることができる放射線量を照射し、食品自体に何も影響を与えないということなどあり得ないでしょう。
そうなるとやはり安心なのは『地産地消』。
身近な所で生産できる物は輸入に頼らないのが一番なのですが、本年1月1日に発効した日米貿易協定では『地産地消』が協定違反になり、莫大な賠償金を請求される可能性があります。
外交上、異例づくしの協定
通常、国際上の条約や協定を締結する場合、前文・本文・付属書で構成され、まずその協定(条約)の趣旨や目的などが記載されます。
なぜなら実際運用する際、当事者間で解釈に差が出ないよう、協定(条約)の指針を示す為です。
ところが今回の協定の冒頭には、
『日本国及びアメリカ合衆国(以下、両締結国という。)は、次の通り協定した。』
としか書かれておらず、協定の趣旨や目的が一切示されていません。
ということは、自分に都合の良い解釈で使えることになります。
そうやって本文を読み込んでいくと、日本にとって非常に危うい項目があります。
第五条1の中に
「世界貿易機関(WTO)設立協定に基づく自国の現行の約束に加え附属書Ⅰ又は附属書Ⅱの規定に従って、市場アクセスを改善する」
とあります。
この最後の「市場アクセス~」が曲者です。
相手国政府や相手国の企業が、市場参入の障壁と感じる規制があれば『改善』しなくてはなりません。
つまり『地産地消』を推し進める地域や自治体は、参入したい企業のビジネスを阻害し、ビジネスチャンスを奪う障壁となるので『改善』しなくてはならない可能性があるのです。
先行している他国の貿易協定に於いて、具体的な『改善』は主に訴訟によって遂行されてます。
それは、アメリカの投資紛争解決国際センターで審判され、訴えられた国が勝つことができない仕組みになっています。
実際カナダは最近、アメリカとの協定違反で提訴され、莫大な賠償金の命令を受けています。
国民の健康や国の環境を守るための条例は、世界各地にありますが、理由に関係なくその条例が外国企業や投資家に損害を与えたら訴訟の対象になります。
彼らにとっては、日本の環境を守ることや国民の健康、将来など関係ありません。
自分が儲かるか儲からないか・・だけなのです。
「桜を見る会」どころではなく、なぜこの貿易協定を十分に審議せず、国会を通過したのでしょうか。
通常このような協定は、首相、もしくは最低でも閣僚が署名するものです。
ところが今回、アメリカ側は閣僚クラスの通商代表が署名していますが、日本側の署名は駐米大使でした。
重要協定(条約)の署名が、閣僚と大使なんて前代未聞です。
しかも署名に際して必要な閣議決定も、週二回の定例閣議ではなく、持ち回り閣議で通しています。
だいたいこのような貿易協定の署名は、急に決定する性質のものではないはずです。
持ち回り閣議で、慌てて承認した理由は何だったのでしょうか。
本当の食の安全とは?
50年前の『食の安全』とは、衛生管理が中心でした。
そもそも日本は夏場に湿度が高く、細菌やカビによる食中毒を防ぐための知恵がたくさんあります。
(参照ブログ⇒七面鳥が引き起こした酒・醤油・味噌の危機)
発酵食品もその一つで、ただ安全に保存するためでなく、より美味しく、栄養素が高くなり、健康パワーが詰まっています。
それがいつの間にか『健康パワー』の部分だけが、抜き出して強調され、その本質が忘れられているように感じます。
「〇○に良い」「〇○を食べるとやせる」という情報が流れると、小売店の棚から商品が消える。
科学の進歩で、健康に良い成分が特定されることは喜ばしいことですが、その成分だけが健康に寄与しているわけではありません。
食品として摂取した時、どのように吸収・代謝され、どのように作用しているのか・・・その過程が全て解明している成分は、意外とありません。
食中毒で吐くメカニズムが、つい最近判明したように、
「こういうことが起こっているのではないか?」
という予想はついても、その証明はなかなかハードルが高いのです。
(参照ブログ⇒何故吐くのか?)
健康に良いものが、安全な食べ物なのか?
残念ながら、現代日本では健康に良い=安全安心な食べ物ではなくなっています。
社会情勢によってビジネス上や経済上の理由が先行しています。
春夏秋冬、季節が巡るように、自然界の一部に生きる私たちもそのサイクルから逃れることができません。
しかしその自然さえも人間の手でコントロールしようとする思い上がりが、想定外の災害や感染症、地球規模の気象変動などを招いているとしか思えません。
「ペットフード屋のブログなのに、何で家畜や鳥、農業の話が多いんだ?」
とお叱りを受けることもありますが、事の発生源を直視しなくては、根本的な解決は不可能です。
うわべだけの”無添加”や”国産”商品を作りたくありません。
というより自分の家族に食べさせたくないから、今年も追求し続けます。