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国産米が消える日⑥~事実は小説より奇なり


『遺伝子を操作する』なんて、まるで漫画やSF映画のような話で、なかなか実感が伴わないかもしれません。

ゲノム編集された作物について、各国の判断をご紹介します。

まず作り出した企業側の主張は

『加速化した品種改良技術だ』

あくまでも遺伝子組み換えとは違うので、ゲノム編集はその定義に当てはまらないと。

アメリカ農務省はこの主張を受け入れ

「この手の新種作物は、規制対象品目ではない」

と表明しています。

しかし同じアメリカ農務省内でも、有機作物諮問委員会

「結局は遺伝子組み換えだ」

と主張。

真向から対立しています。

同じくニュージーランド政府も

「遺伝子組み換え技術と同じ」

と判断。

一方、遺伝子組み換え種に厳しいはずのEU加盟国でありながら、オランダスウェーデン

「ゲノム編集は遺伝子組み換えではない」

という判断を出しています。

近年、巨大企業のロビー活動がボディブローのように効いてきたのか、EU各国でも遺伝子組み換えについて、判断が揺らいでいる様子が伺えます。

特に政治家(担当大臣クラスを含む)とその国の科学者たちの意見が対立している国は結構あります。

ある意味、多様な意見が混在し、議論し続けていることは健全な民主主義と言えますが、事は食料に関わること。

政治家の名誉欲を満たしたり、民間企業の収益を確保することが、”国民の健康”や”安全性”より優先されるべきこととは思えません。

欧米で米を主食としている国は少ないですが、世界規模で見ると、人口の約半分が主食としています。

当然、気候条件で栽培に向き不向きもありますが、土壌や水の微生物の差もあるように思います。

何年か前に、田舎館村の田んぼアートを南フランスでやる計画が持ち上がり、つがるロマンや古代米を現地で生育させようとしたことがあります。

当地の平均気温は、初夏~収穫の秋まで青森県と似ていたので、問題ないと思われました。

しかし苗床の時点で、うまく育たなかったという話を伺いました。

これは植物の生育条件とは、気温や日照時間、土壌の養分が合致すれば育つ・・という単純なものではないということを表していると思います。

春の食卓

2013年、和食はユネスコの無形文化遺産に登録されました。

和食が健康的な食事であることは、いまや世界中に広まっています。

その基本に”米”があることが重要です。

全国各地にある伝統的な食材・調味料。

それらで作る味噌汁・漬物・お惣菜などは、基本的にお米と共に食されます。

神社にお餅やお神酒を供え、お祝いの時はお赤飯を炊きます。

米があっての”和食”=日本の食文化なのです。

同時に重要な調味料、味噌・醤油の原料は、米と共に主要農作物種子法に定められていた大豆や小麦です。

つまり和食の基本を構成する作物だからこそ、法律でその種子を守ってきたのです。

「食料を自給できない国は、真の独立国とは言えない」

それは昔から言われています。

食料や天然資源は国家間の交渉として、いつの時代も重要で、それが戦争の原因となってきました。

自給とは、毎年種を採取して作り続けることも含みます。

政治的な事情で種の輸出を止められたり、企業の都合で「その種は売れ筋じゃないので、廃盤にしました」というようなことが起こったら維持できないような農業スタイルは、国を滅ぼします。

「そんなことは起こるわけない?」

8年前のあの大震災の日。

東京ですら、スーパーから米が消えました。

あの時は物流が一時的に滞っただけで、すぐに回復しましたが、主要農産物(米・大豆・麦)の交雑や民間依存は、和食の消失すら招くやもしれません。

少なくとも私たち消費者が、長く研究し守られてきた種の米か、F1種か、ゲノム編集種か、遺伝子組み換え種かを選べるようにして欲しいです。

”食べると花粉症が軽減される遺伝子組み換えを施した米”を食べたい人はそれを選べばいいし、気に入った味のF1種があればそれを食べればいい。

でも食べたくない人はこれまでの在来種・固定種を選びたい。

現時点で国は

『それを明記すると、営業妨害になる、公平じゃない』

という考えのようです。

しかしそこに国民の存在や未来はあるのでしょうか。

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