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パスツール VS コッホ(その1)


同時期に生き、どちらも近代微生物学の父と呼ばれています。

フランスに生まれたパスツール(1822年~1895年)は、狂犬病ワクチンを作ったこともあり犬猫の飼い主にとって大変身近です。

またワイン醸造業者を悩ませていた、ワインの腐敗を防ぐための殺菌法(パスチャライゼーション)を確立したことでも有名です。


この殺菌法は”低温殺菌法”とも呼ばれ、素材の風味を損なうことなく今も世界中で採用されています。


牛乳パックに”パスチャライズ殺菌”と記載されているものは、この”パスツール式殺菌法”を用いたものです。



低温(63℃)で30分ほど処理すると、大腸菌など腐敗を早める菌類は死滅しますが、乳酸菌など動物にとって有用な細菌は残ります。

しかし耐熱性のある細菌群も一部残りますので、賞味期限が短いのですが、欧米ではこの殺菌法が一般的です。


この殺菌法だと、牛乳に含まれる良質なたんぱく質も、熱による変性が起こりづらく、牛乳本来の風味が楽しめます。

一方、ドイツ出身のコッホ(1843年~1910年)は、炭疽菌・コレラ菌・結核菌を発見・または分離に成功したお医者さんです。


彼の大きな功績は、細菌の発見だけでなく、目的となる一つの細菌だけを分離し、その細菌が病気の原因になることを証明する手法を確立したことにあります。



今も細菌類の培養に使われる”寒天培地”の基礎を、牛肉の肉汁とゼラチンで始めた人でもあります。

液状の培養液では、空気中の細菌に汚染されやすく、正しい観察が出来ないことも多かったので、これが解決されたのは大きな前進でした。

このように、多くの功績を残した二人ですが、決定的な違いがありました。

それはパスツールが生化学者だったのに対し、コッホは医者だったことです。

この二人の姿勢は、同じ微生物の世界を研究していても、それが引き起こす”病気”への対応手法が全く違ったのです。


パスツールはワインの殺菌法でも分かるように、実際的な問題を、観察を積み重ねることで解決するのを得意としていました。

その結果、細菌の変異株や弱毒化したものを使うワクチンの開発に尽力しました。

微生物による病気に、微生物を利用する可能性を開いた人でした。


そのため、コッホが発見・分離に成功した炭疽菌を高温で加熱し、弱毒化させたワクチンを家畜に接種することで病気が予防できると考えたのです。

この発見に対し、フランスの獣医師雑誌は

『実験室内の結果であって、実際の農場では効果不明』

と懐疑的な記事を載せました。

するとパスツールは、羊の炭疽菌感染に悩んでいた農業組合の協力を得て、実際の農場で公開実験。

すると一頭も感染羊を出さず大成功しました。



この実験結果を論文にまとめ、第七回国際医療会議で発表しました。

同じ会議にコッホも参加していて、彼は新しい細菌染色法と同定法を発表。

するとすでに国際的な有名人だったパスツールは、若いコッホの研究を賞賛しました。

「これは細菌学の大きな進歩だ」

とも。


しかしコッホは医者ですから、パスツールの言う”弱毒化した微生物”というのが信用できませんでした。



『微生物固有の性質は不変で、病原性に幅がある』

という考えが受け入れられなかったのです。


そのため弱毒化した炭疽菌なんてものは存在せず、あの実験には何かカラクリがあると。

その上

『予防接種は無益であり、医学の訓練を受けていない化学者の主張を、何で医者が聞かなくてはならないのか!』

とまで。

現在の技術ではどちらの理論も、一部は間違っていたことが判明していますが、当時の実験器具や環境の差を考えれば仕方のないことでしょう。

しかしパスツールから始まった研究は、ワクチン開発と免疫学の基礎となり、コッホの研究は病原性の微生物を分離して撲滅することや公衆衛生の向上に寄与しました。

現代の私たちは、両者の研究の恩恵を大いに享受しています。




コッホは医者でしたので、”病気を診る”ことに特化した仕事です。

(何を当たり前のことを言うと思われるでしょうが)


だからこそ、病原性の微生物に注目し、その性質を特定する技術も確立できたのですが、これには一つ残念な部分がありました。

それは、動物にとって有益な微生物に接した経験がほとんどなかったのです。

これはワインやビール醸造の現場を良く知り、微生物の働きによって生み出される食品を見てきたパスツールと決定的な違いでした。

コッホは

微生物=病原体

という固定観念が最後まで抜けなかったと思われます。

現在も細菌論の基礎として使われているコッホの四原則は、微生物(現在はウィルス類も含む)と病気の因果関係を証明するための原則として正しいものです。


しかし例外のない原則もないように、これにも一つ問題がありました。


コッホの原則を忠実に守ると、分離・培養できる微生物しか研究できないことになってしまいました。


今でこそ、分離・培養できる微生物はごく一部だと分かっていますが、当時コッホの原則に従って検証しようとすると、まず分離できないと研究のしようがありませんでした。

さらに当時はまだ、”細菌”と”ウィルス”がごっちゃになっていました。

実際的な問題の対処が得意だったパスツールにとって、相手が細菌かウィルスかというのは、さほど大きな問題ではなかったのでしょう。

どちらも放置すると、問題を起こす(腐る・病気になる等)ものに違いはありません。

実際、ワクチン開発に成功した炭疽菌は細菌でしたが、狂犬病は”ウィルス”でしたから。

自分たちだけで増殖できる細菌類と、宿主の細胞に入らないと増殖できないウィルスでは、特徴も構造も全く違います。


毎年話題になるヒトノロウィルスも、実は未だに分離・培養できていないものの一つです。

アメリカでマウスノロの分離には成功していますが)

そのため、ノロウィルス対策の消毒液やグッズ類は、猫の混合ワクチンでお馴染みの”猫カリシウィルス”で代用試験しています。



猫カリシとノロは、近縁で特徴も似ているので

「たぶん同じような効果があるだろう」

という検証ができたわけですが、全く同じものではないので、

「確実に効果がある」

とは言えません。

コッホの話に戻ると、そんな狭い範囲でしか研究できなかったにも関わらず、彼とその弟子たちは多くの業績を上げました。

腸チフスを発見したガフキー。

ジフテリア菌の分離に成功したレフラー。

(彼は口蹄疫ウィルスも発見。これは世界で初めて、細菌より小さく、細胞内に寄生する病原体が確認されたケースです。細胞膜を通過していく様から”濾過性病原体とか”細胞内寄生体”と言われていました)


そしてヨーロッパを長年苦しめてきたペスト菌の発見は、北里柴三郎が成し遂げました。

北里氏は、破傷風菌の純粋培養にも成功したので、これがのちの破傷風ワクチンに繋がりました。

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