2013年に式年遷宮が行われた頃から、「一度は行ってみたいなあ」と思っている伊勢神宮。
今年、伊勢志摩サミットが開催されたのを機に、再びメディアで取り上げられることが増え「やっぱり行きたいなあ・・・」
室町時代から、集団でのお伊勢参りの記録が見られますが、全国的に広まり、庶民の憧れになるのは江戸時代になってから。
それでも、庶民の移動は厳しく制限されていたので、旅は一生の夢だったことでしょう。
しかし”伊勢参り””善光寺参り””日光東照宮参り”は別格で、比較的簡単に通行手形が出たようです。
『そっかあ。。パスポートが必要だったのね』
めでたく通行手形が手に入っても、旅費の調達は大変です。特に、東北地方から伊勢まで旅をするとなると、単純に距離で計算しても、江戸から出発する場合の二倍以上。
実際、陸奥国釜石(現・岩手県釜石市)から100日かかったとの記録があるので、財力だけでなく体力的にも大変厳しいものであったと想像に難くありません。
今日はそんな頃のお話です。
秋田藩の御用人は、江戸での用事を終え、近郊の宿場町(現・埼玉県幸手市)に着きました。
すると、やたらと人懐っこい一頭の白い犬が目に留まります。
道行く人の足元に近寄り、無視されたら、また違う人に近づく。
すると何人かは、犬の首輪に下げられた木札を見て、ひと言ふた言声をかけています。
御用人は興味をひかれ、その犬に近づいてみました。
するとすっかり汚れた木札には『津軽・黒石』(現・青森県黒石市)と書かれており、首輪には伊勢神宮のお札と共に現金で200文も下げていました。
そう、彼は黒石の小さな村を代表して、お伊勢参りに送り出された犬でした。
当時、各地から”白い犬”が代理としてお伊勢参りをした記録があります。
しかし、長い旅の帰路で、この御用人と出会った彼は、歴史の1ページに足跡を残すことになりました。
首に下げられたお金は、出発に際して持たせたわけではなく、全て道中で出会った人の寄付でした。
「何か食べさせてもらえよ」
「津軽から来たのか・・・頑張れよ」
犬好きの気持ちは、今も昔も変わらないのでしょう。
幸手から秋田まで、彼はこの御用人と旅を続け、秋田藩に到着してからは宿場継ぎ送り※で、黒石の飛内村まで無事帰還したのです。
出発してから3年もの月日が経っていました。
距離にして約2400㎞。
いくらおおらかだった時代の話とはいえ、お伊勢様のお札を下げ、秋田藩から継ぎ送りで帰ってきた犬の姿に、村の人々は驚きと感激で迎えたに違いありませんね。
(ウルウルしてきた。。。。)
※江戸幕府の公用で旅をする人・書状・貨物などを滞りなく運ぶために整備したシステム。ちなみに公用以外に使う場合は有料なので、この時は秋田藩が費用負担したようです。